憲法、憲法判例、憲法学習法

平成25年度司法書士試験憲法

平成25年度司法書士試験憲法

第1問

人権の享有に関する次のアからオまでの記述のうち、判例の趣旨に照らし正しいものの組合せは、後記1から5までのうち、どれか。

ア 会社は、公共の福祉に反しない限り、政治的行為の自由を有するが、会社による政治資金の寄附は、それによって政治の動向に影響を与えることがあり、国民の参政権を侵害しかねず、公共の福祉に反する結果を招来することとなるから、自然人である国民による政治資金の寄附と別異に扱うべきである。
イ 憲法は、何人も、居住、移転の自由を有する旨を定めており、その保障は、外国人にも及ぶところ、この居住、移転には、出国だけでなく、入国も含まれることから、外国人には、日本から出国する自由に加え、日本に入国する自由も保障される。
ウ 公務員の政治的中立性を損なうおそれのある公務員の政治的行為を禁止することは、公務員に対して政治的意見の表明を制約することになるが、それが合理的で、必要やむを得ない限度にとどまるものである限り、憲法の許すところである。
エ 我が国に在留する外国人に対し、法律をもって、地方公共団体の長やその議会の議員の選挙権を付与する措置を講じなくても、違憲の問題は生じない。
オ 喫煙の自由は、憲法の保障する基本的人権には含まれず、未決拘禁者に対して刑事施設内での喫煙を禁止することは、拘禁の目的、制限の必要性や態様などについて考察するまでもなく、憲法に違反しない。

1 アイ  2 アウ  3 イオ  4 ウエ  5 エオ

この問題は、アとウが基本的な判例であり、エが常識問題といったところ。また、イも外国人の人権についての基礎知識の応用、オは、憲法そのものの基本的な考え方に適合していません。この中では、オが、単純知識ではない分、難しいのかもしれません。しかし、憲法の基本的な考え方はもちろん、幸福追求権の保障対象についての議論から考えてもいいです。判例とは問い方が違いますが、判例を知っていれば楽かもしれません。

いずれも基本論点ですので、知識として知っていれば簡単だったでしょうが、知識が足りないから困ることは何もありません。ごく基本的な知識を理解していれば十分対応できるレベルですね。

それでは各記述について、ざっくり見ていきます。

株式会社による政治資金の寄附

ア 会社は、公共の福祉に反しない限り、政治的行為の自由を有するが、会社による政治資金の寄附は、それによって政治の動向に影響を与えることがあり、国民の参政権を侵害しかねず、公共の福祉に反する結果を招来することとなるから、自然人である国民による政治資金の寄附と別異に扱うべきである。

法人の人権享有主体性で扱われる超基本判例、八幡製鉄事件(最大判昭和45・6・24)を知っていれば、ごく簡単でした。本文は、会社にも政治的行為をする自由が認められ、政治資金の寄附についても会社の定款の目的の範囲内とした八幡製鉄事件判決の簡単な言い換えです。

この判決での中心的な争点は、会社の政治資金の寄附は民法90条の公序良俗違反ではないか、という点であり、これに対して、最高裁は、
「会社によってそれ(=政治資金の寄附)がなされた場合、政治の動向に影響が与えることがあったとしても、これを自然人たる国民による寄附と別異に扱うべき憲法上の要請があるものではない。」としています。

ただし、近年では、学説は法人の人権享有主体性という考え方そのものを否定しています。最高裁も、八幡製鉄事件を、法人の権利能力に関する先例としては扱いますが、法人の憲法上の権利主体性という観点での引用事例はありません。その意味では、この判決の理解を少し修正しておいたほうがよいかもしれません。

外国人の日本への入国の権利

イ 憲法は、何人も、居住、移転の自由を有する旨を定めており、その保障は、外国人にも及ぶところ、この居住、移転には、出国だけでなく、入国も含まれることから、外国人には、日本から出国する自由に加え、日本に入国する自由も保障される。

これも超基本判決のマクリーン事件(最大判昭和53・10・4)が素材です。こちらは外国人の人権について理解していれば、本文が誤っていることはすぐわかりますね。

マクリーン事件では、性質上日本国民のみを対象としていると解されるものを除いて、我が国に在留している外国人にも憲法第3章の諸規定による基本的人権の保障が及ぶとした一方で、その保障はあくまでも外国人在留制度の枠内で与えられたものだとします。つまり、外国人には憲法上、日本に入国する権利というものは保障されていないことを前提とした判断だったわけです。

判決では、最初の部分で、「憲法22条1項は、日本国内における居住・移転の自由を保障する旨を規定するにとどまり、外国人が我が国に入国することについてはなんら規定していない」と判示し、「憲法上、外国人は、わが国に入国する自由を保障されているものでないことはもちろん、所論のように在留の権利ないし引き続き在留することを要求しうるような権利を保障されているものでもない」としました。

公務員の政治的行為の禁止

ウ 公務員の政治的中立性を損なうおそれのある公務員の政治的行為を禁止することは、公務員に対して政治的意見の表明を制約することになるが、それが合理的で、必要やむを得ない限度にとどまるものである限り、憲法の許すところである。

これまた超基本判決、猿払事件(最大判昭和49・11・6)です。平成24年に堀越事件(最判平成24・12・7)が出て、判例変更はしなかったものの、実質的には猿払基準を修正しましたが、この1審判決が、猿払事件の焼き直しのような判決だったことが話題を集めていました。

もっとも、この問題では、猿払基準そのものではなく、その前提である「公務員の政治的中立性を損うおそれのある公務員の政治的行為を禁止することは、それが合理的で必要やむをえない限度にとどまるものである限り、憲法の許容するところである」という判断です。

この部分に関しては、堀越事件の最高裁判決も、「公務員の政治的行為の禁止は、国民としての政治活動の自由に対する必要やむを得ない限度にその範囲が画されるべき」として、同じような判断をしています。

以上、ウの文は判例の趣旨と一致しています。

外国人の選挙権

エ 我が国に在留する外国人に対し、法律をもって、地方公共団体の長やその議会の議員の選挙権を付与する措置を講じなくても、違憲の問題は生じない。

もし、これが違憲になるんだったら、実際に違憲の選挙があちこちで行われていることになります。これは少し常識を働かせれば間違いであることがわかりますね。

これは外国人地方参政権(最判平成7・2・28)ですね。基本判例の一つではありますが、出題されやすい部分が決まっている判例ですね。判決文の穴埋めという形でも出やすいものですので、以下の議論は頭に入れておいてください。

① 憲法15条1項の公務員の選定罷免権の保障は、国民主権の原理から、権利の性質上、日本国民にのみを対象としたもの。
② よって、憲法93条2項にいう「住民」とは、地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民のこと。
③ よって、憲法93条2項は、我が国に在留する外国人に対して、地方選挙権を保障するものではない。
④ しかし、我が国に在留する外国人のうち、永住者等で居住区域の地方公共団体と密接な関係を持つものに、法律で地方選挙権を付与することは禁止されていない。
⑤ ただし、あくまでも立法政策に関わる問題であり、このような措置(=定住外国人への選挙権付与)を採らないからとって違憲になることはない。

以上のように、判例は許容説にたっています。許容というのは、してもかまわないということで、しなくちゃいけない、という意味ではないわけですね。ですので、エの本文は正しいわけです。

在監者の喫煙の自由

オ 喫煙の自由は、憲法の保障する基本的人権には含まれず、未決拘禁者に対して刑事施設内での喫煙を禁止することは、拘禁の目的、制限の必要性や態様などについて考察するまでもなく、憲法に違反しない。

まず、通説的には、喫煙の自由は憲法の保障する基本的人権には含まれないと考えられます。ですが、最高裁はそれについて明言を避けています。ただ、一般的には、知識としては知らないでしょうから、ここは喫煙の自由は基本的人権に含まれないだろうと仮定して読み進めましょう。そして、「拘禁の目的、制限の必要性や態様などについて考察するまでもなく」というところで、あれ?と考えられたらいいですね。

当たり前のことですが、憲法の基本的人権に含まれるかどうかですべてが決定されるわけではありません。基本的人権に含まれるから、まったく制限を受けないわけじゃありませんし、逆に、基本的人権に含まれないとしても、行政が好き勝手に制限することが許されるというものでもありません。それさえわかっていれば、この文章がアウトなのはわかると思います。

なお、幸福追求権が保障する対象となる権利について、人格的行為説と一般的自由説の争いがあることを知っている人は、その二つが、実質的にはあまり変わらない判断となること、つまり、一般的自由説をとって、保障対象を広げたとしても、周辺的な権利については比較衡量の上で制約されやすいものであり、逆に、人格的行為説をとり、保障対象を狭く考えたとしても、対象外の権利の制約が手放しになるわけではないことを確認しておいてください。

芦部先生は、これについて
「人格的利益説をとっても、(バイクに乗る、髪型を長髪にするなどの行為を行う自由が)保護されるわけではない。」「平等原則や比例原則とのかかわりで、憲法上問題になることもありうる」
と述べています。(芦部「憲法」岩波)

以上、オの文章は間違っているわけですね。

なお、この文の素材になった最大判昭和45・9・16は、
「必要な限度において、被拘禁者の(身体の自由以外の)その他の自由に対し、合理的制限を加えることもやむをえないところである。」
「右の制限が必要かつ合理的なものであるかどうかは、制限の必要性の程度と制限される基本的人権の内容、これに加えられる具体的制限の態様との衡量のうえに立って決せられるべきもの」としています。
その上で、「喫煙の自由は、憲法13条の保障する基本的人権の一に含まれるとしても、あらゆる時、所において保障されなければならないものではない」として、憲法上の権利か否かとは別のところで、必要性と合理性および制限される権利の性質を衡量して喫煙の禁止の合憲性を導いています。

結論

以上から、ウとエが判例の趣旨と同じですから、4が正しいとなります。

ただし、正しいという判断は、誤りであるという判断よりも難しいものです。その意味では、アとオを確信を持って切れることのほうが、本番では望ましいでしょう。

未決拘禁者の喫煙の自由というのは、判例としてはそこまでメジャーではありませんが、憲法の判断枠組みがわかっていれば、自信を持って切れるものだったと思います。

第2問

比例代表選挙による選出された国会議員に除名・離党による党籍の変動があった場合において、当該国会議員がその議員資格を喪失するかどうかについては、これを肯定する説(資格喪失説)と否定する説(資格保有説)がある。次のアからオまでの記述のうち、「この説」が資格保有説を指すものの組合せは、後記1から5までのうち、どれか。

ア 「この説」は、比例代表選挙により選出された当時の党籍を保持することを憲法第43条第1項の「全国民を代表する選挙された議員」の要件とする考え方である。
イ 「この説」に対しては、国民が政党に投票する比例代表選挙における民意とかけ離れた結果を生むことになるとの批判がある。
ウ 「この説」に対しては、憲法第43条第1項の「全国民を代表する」の意味について、議員は、選挙区民が求める個々の具体的な指示に法的に拘束されることなく、自らの良心に基づいて自由に意見を表明し、表決を行う権利を有することを意味するとする考え方と整合しないとの批判がある。
エ 「この説」に対しては、政党と議員との間に命令・服従関係を生じさせる点で問題があるとの批判がある。
オ 「この説」において、一旦選挙により選出された議員は、全てひとしく憲法第43条第1項の「全国民を代表する選挙された議員」であり、特定の選挙人や党派の代表者ではないとされる。
(参考)
憲法
第43条 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。
2 (略)

1 アイ  2 アウ  3 イオ  4 ウエ  5 エオ

本問では、前提として、国会議員というのがどういう意味での代表なのか、という理解があると楽でしょう。この問題は、基本論点ですので、知っている人も多かったと思いますが、仮に、本試験で思い出せなかったときにどう考えたらよいでしょうか。

本問は、比例代表選挙による選出された国会議員が、除名されたとか、離党したとかによって別の党に所属した場合に、文中の「この説」というのが、その議員が議員資格を喪失しないという説(資格保有説)を指しているものを選ぶ問題です。

ということは、各文章中の「この説」が、資格喪失説か資格保有説かを確認すればよいということになりますね。

それでは、各文章を見てみましょう。

ア 「この説」は、比例代表選挙により選出された当時の党籍を保持することを憲法第43条第1項の「全国民を代表する選挙された議員」の要件とする考え方である。

比例代表選挙により選出された当時の党籍のままでいることが、議員の要件なのですから、党籍を移動すれば議員資格を失うわけです。「この説」は、資格喪失説ですね。

イ 「この説」に対しては、国民が政党に投票する比例代表選挙における民意とかけ離れた結果を生むことになるとの批判がある。

国民は政党を選び、その結果、その政党の議員が誕生するわけです。仮に、国民の多くが、A党に投票し、国会議員のほとんどがA党になったとして、選挙後に、彼らは対立するB党にそろって鞍替えしたらどうでしょう。国民は選挙の際に、主権者の意思としてA党を選んだにもかかわらず、B党が選ばれたことになりますね。

比例代表制における民意とは、ある政党を選び、ある政党を選ばないというもの。所属政党が変更しても、議員資格が保たれるならば、民意とことなる結果となるわけです。こうした結果を生む「この説」は、資格保有説ですね。

ウ 「この説」に対しては、憲法第43条第1項の「全国民を代表する」の意味について、議員は、選挙区民が求める個々の具体的な指示に法的に拘束されることなく、自らの良心に基づいて自由に意見を表明し、表決を行う権利を有することを意味するとする考え方と整合しないとの批判がある。

この文章が言っているのは、議員というのは選出母体の意思に拘束されず、あくまでも「全国民」の代表として、行動すべきであるといことです。(純粋代表)もし、A県から選出された議員が、日本全体が損失をこうむってでもA県の利益だけを主張したとしたら、彼・彼女は、全国民の代表ではなくA県代表にすぎませんね。

ここでの考え方は、議員はそのような地域代表でも、選出母体(資本家だとか労働者だとか、右だとか左だとか)ではなく、自らの良心に基づき、自由に意見を表明すべきだというわけです。こういうのを自由委任といいます。

ところが、政党が発達すると、党議拘束などが行われ、議員は党の支持で動くようになります。こうした現象は、自由委任と整合しないという意見があるわけです。党議拘束等が、自由委任と整合しないとし、議員は所属する政党とは関係なく自分の意見を表明すべきとするならば、所属政党が変わろうがなんだろうが、関係なく、議員を続けることに問題はないはずです。

逆に、この自由委任的な考えと整合しないのは、所属政党が変わったら議員資格を喪失するという考え方ですね。ですから、「この説」というのは資格喪失説です。

なお、芦部先生は、政党などによる党議拘束を「自由委任の枠外」の問題と考えています。(芦部「憲法」岩波)

エ 「この説」に対しては、政党と議員との間に命令・服従関係を生じさせる点で問題があるとの批判がある。

先にも述べたように、政党には党議拘束というものがあって、議員は政党に所属する以上、その指示に事実上従わないといけないわけです。所属政党を変更しても、議員の資格を失わないならば、自分の考えとあう政党に変わればいいだけですが、所属政党を変更すると議員資格を喪失するならば、政党と議員の間に命令・服従関係が生じる危険もありますね。

というわけで、政党と議員の間に命令・服従関係を生じさせる「この説」は、資格喪失説です。

オ 「この説」において、一旦選挙により選出された議員は、全てひとしく憲法第43条第1項の「全国民を代表する選挙された議員」であり、特定の選挙人や党派の代表者ではないとされる。

これは先にも述べたように、自由委任という考え方です。特定の党派の代表ではないのですから、所属政党が変わったところで議員資格を失う理由がありません。「この説」は、資格保有説ですね。

以上から、資格保有説が、イオ  、資格喪失説は、アウエです。
よって、3 イオが正しいですね。

結論

比較的やさしい論理問題でした。

なお、実際には、比例代表選出議員が、当選後に所属政党を変更した場合は、議員資格を喪失しますが、当選後に、所属政党を除名されたり、新しい政党を作る場合には資格を喪失しません。

これは自由委任の原則と、比例代表選挙で示された民意とのバランスをとった規定です。

選挙で民意が明示的にA党ではなくB党を選んだにもかかわらず、選出議員がA党からB党へ動くのは、民意を裏切るものといえますが、一方で、議員の考えが、A党の党議に対して批判的となったり、党議拘束を拒否すること、あるいは、さらに自身の考えに基づいて新たな政党を作ることは、民意を裏切ったとは言い切れず、この場合に議員資格を失わせるのは、自由委任の原則からみて許されないと考えられるからです。

第3問

次の対話は、違憲審査権に関する教授と学生の対話である。教授の質問に対する次のアからオまでの学生の解答のうち、判例の趣旨に照らし誤っているものの組合せは、後記1から5までのうち、どれか。

教授: 憲法第81条には、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」と規定されていますが、下級裁判所も違憲審査権を有していますか。

学生: ア 憲法第81条の明文上は、「最高裁判所」と規定されていますが、下級裁判所も違憲審査権を有しています。

教授: それでは、憲法第81条には、違憲審査の対象として、裁判所のする「判決」が明文で規定されていませんが、判決も違憲審査の対象となりますか。

学生: イ 判決も「処分」の一種として、違憲審査の対象となります。

教授: 違憲審査の対象とならないものには、どのようなものがありますか。

学生: ウ 例えば、両議院の自律権に属する行為は違憲審査の対象となるものの、国の統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為は違憲審査の対象とはなりません。

教授: 「条約」は違憲審査の対象とならないとする見解がありますが、この見解に対しては、どのような批判がありますか。

学生: エ 憲法に反する内容の条約が締結された場合には、当該条約によって実質的に憲法が改正されることとなるため、硬性憲法の建前に反するという批判があります。

教授: では、憲法違反となるかどうかが争われている法令の規定について、複数の解釈が成り立ち、ある解釈を採ると違憲となるが、別の解釈を採れば合憲となるというような場合に、裁判所は、どのような判断の手法を採ることになりますか。

学生: オ 法律の規定の解釈が複数成り立つことは、法規としての明確性を書くことになるため、このような場合には、裁判所は、争われた法令の規定そのものを常に違憲と判断することになります。

1 アエ  2 アオ  3 イウ  4 イエ  5 ウオ

本問は間違っているものの組合せを選ぶものです。問われているポイントは、それほどメジャーではない論点も混ざっていますが、基本論点のみで答えが出せる問題です。

下級裁判所の違憲審査権

教授: 憲法第81条には、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」と規定されていますが、下級裁判所も違憲審査権を有していますか。

学生: ア 憲法第81条の明文上は、「最高裁判所」と規定されていますが、下級裁判所も違憲審査権を有しています。

普通の人だったら、下級裁判所に違憲審査権がないといわれたら驚くんじゃないでしょうか。だって、普通に憲法判断してますよね。ちょっとしたニュースでも、どこかの地裁が違憲判断をしたとか、やってるでしょ。

だから、これは間違いようがない、とは思うんです。正しいに決まっています。ただ、条文上は確かに81条は、最高裁が違憲判断を決定する権限を持つ終審裁判所であるとしています。

日本の違憲審査性は、司法権の機能の一環として考えられています。警察予備隊違憲訴訟(最大判昭和27・10・8)において、最高裁は裁判所は具体的事件を離れて抽象的に法律命令等の合憲性を判断する権限があるという見解には、憲法上及び法令上何等の根拠もないとしました。

このように、違憲審査権は、具体的な訴訟事件を前提として、その解決に可能な限りにおいて行使されるものですから、下級裁判所の裁判官であっても、具体的な訴訟事件の解決に必要な限り、違憲審査を行えるのは当然のことです。

81条はことさらに下級裁判所の違憲審査権を排除したのではなく、違憲審査についても、司法権の頂点である最高裁が最終的な判断権限を持つことを述べたものです。

このような理屈を知らなくても、本番では常識もフルに使って結構です。学生の発言アは、正しいことは、ほとんどの方はわかると思います。

この時点で、1 アエ  2 アオは答えから除外できますね。
残りは 3 イウ  4 イエ  5 ウオ
ですが、イが正しい内容で、しかも簡単だったらあまりにあっさり答えが確定してしまいますから、おそらくは難しい論点かな、という想定が働きます。

裁判所の「判決」の違憲審査対象性

教授: それでは、憲法第81条には、違憲審査の対象として、裁判所のする「判決」が明文で規定されていませんが、判決も違憲審査の対象となりますか。
学生: イ 判決も「処分」の一種として、違憲審査の対象となります。

予想通り、これは若干細かい論点。知らない人も多いでしょう。その場合は飛ばしてよいでしょう。

ただし、「処分」であるかどうかはともかく、違憲審査の対象になるのは、当たり前といえば当たり前です。最高裁も、最大判昭和23・7・8において、裁判に対する違憲審査が、通常の上級審下級審の関係のみにおいて行われるとすると、簡易裁判所を起点とする場合、「三審制の過程における裁判の違憲審査は、終に最高裁判所の権限に属しない結果」となり、容認できないと述べました。

なお、81条は、違憲審査の対象を「一切の法律、命令、規則又は処分」としています。判決は、一般的・抽象的な規範ではなく、個別・具体的な法規範の設立行為であり、処分に含まれると考えられています。

以上、結論から言えば、学生の発言イは正しいですね。しかし、本試験でこれを知らなくても問題はなかったと言えるでしょう。

司法権の限界

教授: 違憲審査の対象とならないものには、どのようなものがありますか。
学生: ウ 例えば、両議院の自律権に属する行為は違憲審査の対象となるものの、国の統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為は違憲審査の対象とはなりません。

これは典型論点。法律上の争訟でありながら、「事柄の性質上裁判所の審査に適しないと認められるもの」(芦部「憲法」)である「司法権の限界」という論点です。これには、第1に憲法上の例外、第2に国際法上の例外、第3に性質上裁判所の審査に適さないもの、がありました。

特に、第3の類型について、どのようなものがあるかは覚えておかなくてはいけないものです。
①自律権に属するもの
②立法・行政の裁量行為
③統治行為
④団体の内部事項(部分社会の法理)
です。

学生の発言ウの前半で、自律権に属するものに対して違憲審査が及ぶといっているのは間違いです。付随的違憲審査制のもとでは、当然、裁判所が審査できないものに対して違憲審査だけができることはありえません。

次に、後半の発言で、国の統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為に違憲審査が及ばないと言っています。これは必ずしも間違いとは言いきれず、確かに苫米地事件(最大判昭和35・6・8)で最高裁は、極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為について司法審査が及ばないとしましたが、砂川事件(最大判昭和34・12・16)は「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは」司法審査が及ばないとして、司法審査の余地を残しています。

もっとも、ここでは後半について考えなくても、前半が明白に間違えているので、判断に迷うことはないでしょう。

条約の違憲審査性

教授: 「条約」は違憲審査の対象とならないとする見解がありますが、この見解に対しては、どのような批判がありますか。

学生: エ 憲法に反する内容の条約が締結された場合には、当該条約によって実質的に憲法が改正されることとなるため、硬性憲法の建前に反するという批判があります。

これは常識レベルですね。この発言は正しい発言です。

憲法改正には通常の法律よりも厳しい要件が課せられています。一方、条約の議決は、衆議院の優越が法律の議決よりも強く、その意味では法律よりも成立要件が緩いものです。条約が違憲審査の対象にならないという説に対しては、学生の発言エの言うとおり、このような条約による実質的な憲法の改正は、「国民主権ないし硬性憲法の建前に反する」(芦部「憲法」)という批判があります。

なお、学生ウの発言の検討で述べたように、砂川事件(最大判昭和34・12・16)で最高裁は、高度の政治性のある条約についても、司法審査の余地を残しています。一般の条約について司法審査が及ぶのは当然と考えられており、砂川事件の藤田補足意見も、「条約も、その国内的効力は原則として裁判所の審査に服するもの」と述べています。

ここで残っている選択肢3イウ、4イエ、5ウオのうち、4イエは切ることができました。ウは誤っていましたから、あとはオが誤っていれば5、そうでなければ3ということで、イがわからなくても答えが出るわけです。

合憲限定解釈の可能性

教授: では、憲法違反となるかどうかが争われている法令の規定について、複数の解釈が成り立ち、ある解釈を採ると違憲となるが、別の解釈を採れば合憲となるというような場合に、裁判所は、どのような判断の手法を採ることになりますか。

学生: オ 法律の規定の解釈が複数成り立つことは、法規としての明確性を書くことになるため、このような場合には、裁判所は、争われた法令の規定そのものを常に違憲と判断することになります。

これは一見して無理な発言ですね。

解釈が複数成り立つときに、常に違憲になるとしたら、かなり多くの法令が違憲になってしまいます。もちろん、過度の広汎性や漠然性によって文面無効ということもありますが、これは萎縮効果の早期解消のための例外的なものです。一般には、合憲限定解釈という手段は広く取られています。

なお、ブランダイス・ルールの第7準則は、法律の合憲性について重大な疑念が提起されている場合でも、その問題を回避できる法律解釈が十分可能か否かをまず確認する、というもの。これはアメリカの判例法理ですが、日本の裁判所で広く用いられています。もっとも、この合憲限定解釈は、限定が明確であること、通常の判断能力を有する一般人の理解に適合することが求められます。これが問題になることも多いので頭のすみっこにでもいれておいてください。

以上、学生の発言オも誤っていますので、両方誤っている選択肢は、5のウオということになります。

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