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憲法21条

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第二十一条【集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密】
(1)集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
(2)検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

表現の自由の意義

歴史的な表現の自由の意義

歴史的には、表現の自由というのは、何よりもまず政治権力に対する批判として展開したものです。

あらゆる政治権力にとって、政治権力の批判というものは都合が悪いもの。誰かが時の政権への批判を世間一般に対して主張したり、出版物で配布したり、集会で演説したりすると、その批判に同意する人が増えるかもしれません。

支配というのは、被支配者の同意というものが必ず必要です。その同意が、自発的なものにしろ、強制的なものにしろ、です。強権的な政治も、民衆が、その支配に屈していることを拒否したときには崩壊します。

その意味で、表現の自由はもっとも弾圧されやすいものであり、逆に、民主主義にとっては、根本的な支えでもあります。

日本においても、戦前は表現の自由が苛烈な弾圧を受けたことはご存知と思います。集会条例を継承した治安警察法、そして、治安維持法によって思想警察が言論活動を取り締まりました。戦争に反対する声、軍部の暴動を懸念する声はかき消され、無謀ともいえる戦争へ突き進んだ一因ともなったことを受け、戦後憲法は、表現の自由を法律の留保から解放し、根本的な自由として保障しています。

表現の自由の価値

今日では、表現の自由の価値は、古くからは思想の自由市場論、そして、今日では主に、自己実現の価値・自己統治の価値、として語られます。

思想の自由市場論というのは、思想の自由競争こそが真理へと到達する道である、という考え方です。これは、ジョン・ミルトンから、J.S.ミルに継承され、アメリカにおいて表現の自由を保障するべき根拠として挙げられてきました。

また、自己実現の価値というのは、これは、個人が表現活動を通し、自己の人格を発展させることです。人は、周囲とのコミュニケーションによって人間として成長し、人格を形成します。

自己統治の価値というのは、表現の社会的価値であり、国民が言論活動によって政治的な意思決定に関与することです。

これらは、それぞれが独立の価値であるということではなく、相互に関連しています。国民が政治的な意思決定に十全に関与するためには、成熟している必要がありますし、そのためには、周囲とのコミュニケーションを通じて、人格を発展させていることが必要とされます。これはまた、思想の自由市場論が成り立つ前提でもあります。

このように、これらの価値は、それぞれ、表現の自由の価値の一側面を表したものと考え、総合的に考えるのが妥当です。

表現の自由の内容

発信の自由

いわゆる表現というと、第一義的には思想や意見の発信ということになります。ですが、単なる事実の伝達もまた、表現の自由として保障されると考えられています。事実といっても評価的事実である場合もありますし、あるいは、そこから何らかの主張を推知できる事実もあります。こうしたものを伝達する行為も、表現の自由で保障されるものと考えられます。

知る権利

しかし、表現は、発信だけで成り立つわけではなく、受け取るという行為も存在している必要があります。また、情報を発信するためには、そもそも前提となる情報を知るという必要もあります。こうしたことから、知る権利、というものも派生します。

取材の自由

先に述べたように、表現の自由は、思想・意見だけではなく、事実に関する情報の流通も意味します。ですから、報道の自由も当然含まれますし、特に、今日では、知る権利に奉仕するものとして報道の自由は重要だと考えられています。取材行為の自由は、こうした報道の自由の前提となるものです。

集会の自由

21条1項は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」として、表現と並列的に、集会の自由そして結社の自由を保障しています。

歴史的には、政治的集会の自由、政治的結社の自由、政治的表現の自由、というかたちで発展してきたものです。たしかに、思想や意見の表明として集会や結社が行われることも多く、その限りでは、「集会の自由は、表現の自由の一形態として、重要な意義を有する」(芦部「憲法」岩波)のは事実です。

表現を目的としない集会や結社もあることも事実ですので、本来、表現の自由の一部として考えるべきではないという意見もあります。

しかし、特に、政治的表現に関して、かつては、マスコミでの表現という手段を持たない民衆が政治的意思を表現できるのは、集会においてのみである、という事情があったで、表現的側面を重視することにも積極的な意義がありました。インターネットなどによって発信行為そのものは身近になった今日でも、現実的に不特定多数にアピールできる機会として、集会の重要性は減少していないと考えられ、表現の自由として考えるのが妥当と思います。

通信の秘密

通信というのは、情報の流通の過程そのものですから、その意味で表現の自由の一翼を担うものと考えることができます。特に、歴史的には、政治的表現に対する権力による探索を禁止するという意義があったと考えられます。一方で、むしろ私生活の保護を目的とするものだという考えにも妥当性があります。その場合、13条の幸福追求権、35条の住居不可侵との関連において理解されることになります。

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