憲法、憲法判例、憲法学習法

条文解説前文

憲法条文と解説

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

1)前文の法的性格

一般には、前文は、日本国憲法の一部であって、本文とともに、最高法規としての性格を持つものとされています。ですから、前文を書き換えるためには、憲法改正が必要なわけです。

ただし、憲法の基本原則を示す前文は、憲法改正に限界を認める立場に立つならば改正の限界を超える部分も多いとされます。

次に、前文が法規範としての性格を持つとしても、これが直接に裁判規範でありうるか、つまり、裁判における判断の基準に直接なるかどうかは問題があります。

これについては、「平和的生存権」について、特に問題となります。百里基地訴訟(最判平成元・6・20)において、前文を根拠として「平和的生存権」が主張されましたが、最高裁は、ここでの「平和」は、理念または目的としての抽象的概念で、裁判において私法上の行為の効力を判断する根拠となるとはいえない、としました。

(ただし、これは、前文の裁判規範性そのものについての判断ではなく、前文から主張された平和的生存権についての判断、しかもそれが私法行為について適用するにあたっての判断であることに注意してください。) 

2)憲法の基本原則

前文の第1段落では、主権が国民に存することが言われています。

第1文で、平和主義と人権尊重のために、国民主権をとることが宣言され、そのうえで、第2文で、国民の信託による国政、を述べています。なお、この部分は、憲法が間接民主主義をとったものと説明されることもあります。そして、さらに第3文で、人類普遍の原理、として、自然法思想にたち、それに反する憲法改正を認めないことを述べています。

第2段落以降は、平和主義を中心に述べています。ここでの平和は、単に、戦争がないという意味だけではなく、さらに、世界の人々の人権が尊重されていること、というニュアンスを持っています。

こうして、前文は、
(1)国民主権(または主権在民)
(2)平和主義
を宣言し、また、明文ではっきりと強調はしていませんが、
(3)基本的人権の尊重
を前提として、自由の恵沢の確保、専制と隷従、圧迫と偏狭の除去をうたっています。

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